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ディズニーに関するもろQなりの小ネタや考察をご紹介するこの『ディズニーの串刺し』。
前回は、「キャラクターたちの手袋(白色)が純潔や文明の象徴である」という「白けりゃ人間になれるよ」説を絡めて、プルートとその他のキャラクターとの関係性を述べたりしました。
第3回「プルートはペットです」→ diskushi.blog.shinobi.jp/Entry/3/
さて今回も、ディズニーキャラクターの手袋に注目していきたいと思います。
この「白けりゃ人間になれるよ」説は、整合性のとれている良い説です。手袋(白色)は、確かにキャラクターを人間たらしめる機能を持っているように感じられます。
しかし、初期のアニメーションを観ていて、この手袋には人間以外にもうひとつ象徴しているものがあるのではないかと、私は考えました。それはディズニーキャラクター、ひいてはディズニーという世界全体を支配しているとも言える概念です。
手袋は、エンターテインメントの象徴である。
このことに気が付いたのは、ミッキーが初めて手袋をはめた瞬間でした。
ミッキーマウスは、『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』で映画デビューを果たした1928年当時、まだ手袋をしていませんでした。
最初に手袋をはめたのは、翌年1929年の『ミッキーのオペラ見物(The Opry House)』です。ミッキーシリーズ4作目の作品なので、それほど後のことではありません。
『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』→ www.youtube.com/watch
『ミッキーのオペラ見物(The Opry House)』→ www.youtube.com/watch
↑の『ミッキーのオペラ見物』をご覧いただければより分かりやすくなると思いますが、
作品冒頭、舞台小屋の前でほうき片手に掃除をしている場面では、ミッキーはまだ手袋をはめておらず、黒い手のままです。
ところが物語中盤、ステージ上でピアノを演奏するミッキーは、手袋をはめて登場します。
このことから、手袋はステージ上に立つときや何かを演じる際に使用されるものだと考えることができます。
『ミッキーのオペラ見物』以降、基本的に毎回、ミッキーは手袋をはめて出演しています。ミニーやグーフィーなどのキャラクターにも手袋が描かれるようになります。
面白いのが、手袋をしていないドナルドとの対比です。
ミッキーやミニーは、シリーズのあらゆる作品においてダンスを披露し、ピアノやバイオリンなど様々な楽器を演奏するエンターテイナーですが、ドナルドにはあまりそういうイメージはありません。
一番印象的だったのは、ミッキーシリーズ初のカラー作品として有名な『ミッキーの大演奏会(The Band Concert)』(1935)です。
『ミッキーの大演奏会(The Band Concert)』→ www.youtube.com/watch
今作において、ミッキーは指揮者であり、グーフィーやホーレス・ホースカラーもそれぞれの楽器を担当するオーケストラの一員です。彼らはまさにエンターテイナーとしての役割を担っています。
一方でドナルドは、楽器の横笛こそ吹いているものの、オーケストラの一員ではない部外者です。そして演奏会を邪魔する役回りなのです。
かんしゃく持ちのドナルドは、ミッキーのように大人しく舞台を演じることが得意ではありません。むしろ舞台を引っ掻き回して観客の笑いを誘うことがドナルドの使命であり、そんな一面がドナルドの人気の理由でもあります。
そんな彼には、エンターテイナーの証である手袋は不必要だと考えられたのかもしれません。
手袋は、人間の象徴であるだけでなく、エンターテイナーを表すトレードマークとしての意味合いも持っているのかもしれません。
少し話がそれますが、三大喜劇王の一人、チャーリー・チャップリンも誰もが認めるエンターテイナーです。
1910〜20年代、チャップリンは大人気でした。当時のアニメーションには、チャップリンやその他の喜劇のエッセンスが多分に盛り込まれていました。
ウォルト・ディズニーのアニメも例外ではなく、チャップリンのユーモラスな動作をキャラクターの動きに取り入れていたといわれています。
『パパになったミッキー(Mickey Plays Papa)』(1934)には、ミッキーがチャップリンのモノマネをして子供をあやすシーンもあるほどです。
『パパになったミッキー(Mickey Plays Papa)』→ www.youtube.com/watch
またチャップリンではありませんが、『蒸気船ウィリー』の原題『Steamboat Willie』は、同じく三大喜劇王のバスター・キートンの喜劇映画『Steamboat Bill Jr.』をもじったタイトルであると考えられています。(WillieとBillは、どちらもWilliamの愛称です)
こうして見てみると、ディズニーアニメーションは、音楽や喜劇などの要素が渾然一体となった総合エンターテインメントであることを再確認することができました。
…強引なまとめですが、今回はこれで終わり。次回の内容は検討中ですが、ディズニーシーに舞台を移して、ロストリバーデルタ辺りの話をしようかなと思います。またマニアックな路線になりそうです。
ありがとうございました。
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前回は、「キャラクターたちの手袋(白色)が純潔や文明の象徴である」という「白けりゃ人間になれるよ」説を絡めて、プルートとその他のキャラクターとの関係性を述べたりしました。
第3回「プルートはペットです」→ diskushi.blog.shinobi.jp/Entry/3/
さて今回も、ディズニーキャラクターの手袋に注目していきたいと思います。
この「白けりゃ人間になれるよ」説は、整合性のとれている良い説です。手袋(白色)は、確かにキャラクターを人間たらしめる機能を持っているように感じられます。
しかし、初期のアニメーションを観ていて、この手袋には人間以外にもうひとつ象徴しているものがあるのではないかと、私は考えました。それはディズニーキャラクター、ひいてはディズニーという世界全体を支配しているとも言える概念です。
手袋は、エンターテインメントの象徴である。
このことに気が付いたのは、ミッキーが初めて手袋をはめた瞬間でした。
ミッキーマウスは、『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』で映画デビューを果たした1928年当時、まだ手袋をしていませんでした。
最初に手袋をはめたのは、翌年1929年の『ミッキーのオペラ見物(The Opry House)』です。ミッキーシリーズ4作目の作品なので、それほど後のことではありません。
『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』→ www.youtube.com/watch
『ミッキーのオペラ見物(The Opry House)』→ www.youtube.com/watch
↑の『ミッキーのオペラ見物』をご覧いただければより分かりやすくなると思いますが、
作品冒頭、舞台小屋の前でほうき片手に掃除をしている場面では、ミッキーはまだ手袋をはめておらず、黒い手のままです。
ところが物語中盤、ステージ上でピアノを演奏するミッキーは、手袋をはめて登場します。
このことから、手袋はステージ上に立つときや何かを演じる際に使用されるものだと考えることができます。
『ミッキーのオペラ見物』以降、基本的に毎回、ミッキーは手袋をはめて出演しています。ミニーやグーフィーなどのキャラクターにも手袋が描かれるようになります。
面白いのが、手袋をしていないドナルドとの対比です。
ミッキーやミニーは、シリーズのあらゆる作品においてダンスを披露し、ピアノやバイオリンなど様々な楽器を演奏するエンターテイナーですが、ドナルドにはあまりそういうイメージはありません。
一番印象的だったのは、ミッキーシリーズ初のカラー作品として有名な『ミッキーの大演奏会(The Band Concert)』(1935)です。
『ミッキーの大演奏会(The Band Concert)』→ www.youtube.com/watch
今作において、ミッキーは指揮者であり、グーフィーやホーレス・ホースカラーもそれぞれの楽器を担当するオーケストラの一員です。彼らはまさにエンターテイナーとしての役割を担っています。
一方でドナルドは、楽器の横笛こそ吹いているものの、オーケストラの一員ではない部外者です。そして演奏会を邪魔する役回りなのです。
かんしゃく持ちのドナルドは、ミッキーのように大人しく舞台を演じることが得意ではありません。むしろ舞台を引っ掻き回して観客の笑いを誘うことがドナルドの使命であり、そんな一面がドナルドの人気の理由でもあります。
そんな彼には、エンターテイナーの証である手袋は不必要だと考えられたのかもしれません。
手袋は、人間の象徴であるだけでなく、エンターテイナーを表すトレードマークとしての意味合いも持っているのかもしれません。
少し話がそれますが、三大喜劇王の一人、チャーリー・チャップリンも誰もが認めるエンターテイナーです。
1910〜20年代、チャップリンは大人気でした。当時のアニメーションには、チャップリンやその他の喜劇のエッセンスが多分に盛り込まれていました。
ウォルト・ディズニーのアニメも例外ではなく、チャップリンのユーモラスな動作をキャラクターの動きに取り入れていたといわれています。
『パパになったミッキー(Mickey Plays Papa)』(1934)には、ミッキーがチャップリンのモノマネをして子供をあやすシーンもあるほどです。
『パパになったミッキー(Mickey Plays Papa)』→ www.youtube.com/watch
またチャップリンではありませんが、『蒸気船ウィリー』の原題『Steamboat Willie』は、同じく三大喜劇王のバスター・キートンの喜劇映画『Steamboat Bill Jr.』をもじったタイトルであると考えられています。(WillieとBillは、どちらもWilliamの愛称です)
こうして見てみると、ディズニーアニメーションは、音楽や喜劇などの要素が渾然一体となった総合エンターテインメントであることを再確認することができました。
…強引なまとめですが、今回はこれで終わり。次回の内容は検討中ですが、ディズニーシーに舞台を移して、ロストリバーデルタ辺りの話をしようかなと思います。またマニアックな路線になりそうです。
ありがとうございました。
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