もろQが長文をしたためる時に使用されるブログです。mixi日記も兼業しています。
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ディズニーに関するもろQなりの小ネタや考察をご紹介するこの 『ディズニーの串刺し』。
ですが、第5回はタイミングが良かったので、
『トイ・ストーリー3』を観てきたレビューをちょっとしようと思います。
本日7月10日が公開初日でした。という事実を僕はすっかり忘れて観てしまいました。とんだ罰当たりですね。
そうそう、3Dの映画を観に行ったのも、僕にとってはこれが初でした。キャプテンEOのようにファズボールがひょーいと接近したりはしないものですね。まあ3Dのテレビが大したことなかったこともあり、TDRのそれと同様レベルを期待していたわけではないです。
さて、トイストーリー本編の前に、お待ちかねのピクサーショートフィルムが始まります。
今回は、twitter等で前々から話題になっていた
『Day & Night』です。
感想としてはまず、トイストーリーを3Dで観ない人も、 本作は3Dでどうぞ。
PC上で予告編を観ていた限り、キャラはピクサーらしからぬ2次元でした。これまで僕はこう、なんというか、黒い暗幕の前で昼のおっさんと夜のおっさんががやがやする内容かなと思っていたんです(下図左)。
ところが実際は、暗幕はもっと手前でおっさんの形にくり抜かれている状態でした。そしてくり抜かれた向こうに、昼と夜の風景が覗けるという形式だったんですね(同右)。
わかりづらいなーこれ
そしてその向こうに望める昼夜の風景が、3Dで大変巧妙に表現されたリアルな奥行きなのです!もうこれは口で説明できません! 斬新な切り口で翻弄しつつ、CGも3Dもなんなく手玉に取るピクサーはえらい。
これまでショートフィルムでも、電気スタンドから宇宙人、赤ちゃんつくる雲まで色々登場させてきたピクサーですが、今回はずば抜けて抽象的な昼と夜ですからね。何かが起こらないはずはありませんよ。
さて、前座のショートフィルムでそんな盛り上がってもなんなので、本編
『トイ・ストーリー3』
に話題を移しますね。
上記の通り、『Day & Night』は3Dで観ることをお勧めします。『トイストーリー3』は、3Dでも普通でもどっちでもいいと思っています。
いや別に、本編で3Dのクオリティ落ちてるとかそういう意味ではありません。
なぜならこの作品は、何よりもまず物語に重きを置かれている映画だからです。映像技術の3Dは二の次なような気がするし、実際作品内でもそれほど目立った効果はみられません。(ただし冒頭部分は結構使ってました。やっぱツカミは大事)
3Dに力を入れない分、物語構成はかなり練っている印象でした。監督のリー・アンクリッチは、これまで受け継がれてきた『トイ・ストーリー』の世界観や内容、キャラクター設定を壊さないように、完結編『3』を製作したと語っています。
なにせ95年のシリーズ第1作目から15年もの間愛されてきた世界観、物語、キャラクターたちです。それをうかつに破壊してしまっては、世界中のトイストーリーファンから退職を要求され、死ぬまでおもちゃの十字架を背負わされる運命一直線でしょう。
そんなハイプレッシャーをかけられながらの本作でしたが、どうやらそのプレッシャーは功を奏したかな、と僕は思っています。リーさん大丈夫首つながった。
かくいう僕も、小学校入りたての頃に映画館で1作目を観て、VHSも文字通りすり切れさせた口です。(多分今は、中身のカセットとケースがピカチュウのふゆやすみとかとごっちゃになっている状態だと思いますが)
そう考えると、アンディと僕はちょっと年が離れているものの、十分友達になれる年齢同士だったことに気付きます。
いわば当時、アンディと一緒にウッディやバズで遊ぶことが可能だったかもしれない年代でした。そして現在は、おもちゃたちとの別れもアンディと一緒に悲しむことができる年代でもありました。
生地のかすれたウッディやヘルメットに引っ掻き傷のついたバズ、その他の愛らしいおもちゃたちをを手放す気持ち、新しい持ち主に大切に遊んで欲しいと思う感情は、確かにアンディと自分を繋ぎ止めていたに違いありません。
『トイ・ストーリー』ファンの思い出や懐かしさを、「寄付」と書かれた段ボールに丁寧にしまいこんだような、上出来の完結編でした。
いやあ、それにしても最近のピクサーは、なんだか本編見せる前に予告編で泣かそうとしてますよね。ウォーリーでは人類の滅びた地球からスタートだし、カールじいさんはエリーが亡くなったところから始まるし(あああの美しき回想シーン15分間!!)。『トイ・ストーリー3』も、この「予告編で泣かす」ブームのまっただ中に公開できて良かったですねえ。完結編で爆笑おもしろギャグコメディをやられたらファン卒倒ですよ。……うんまあさすがにそれはないか。
あ、ところで1つ2つ言いたいことがあったんでした。
もうそれイチゴのにおいしないって!!
スペインバズいかしてるうう!!
コメントして下さる方へ:
ツイッターから来て頂いている方は、是非以下のボタンをクリックして返信してもらえると、有り難すぎてよだれ出ます。URLは全然消して頂いて構いません。
mixi及びその他のルートでお越しいただいている方は、当ブログのコメント欄、あるいはmixiボイスなどへお願い致します。
ですが、第5回はタイミングが良かったので、
『トイ・ストーリー3』を観てきたレビューをちょっとしようと思います。
本日7月10日が公開初日でした。という事実を僕はすっかり忘れて観てしまいました。とんだ罰当たりですね。
そうそう、3Dの映画を観に行ったのも、僕にとってはこれが初でした。キャプテンEOのようにファズボールがひょーいと接近したりはしないものですね。まあ3Dのテレビが大したことなかったこともあり、TDRのそれと同様レベルを期待していたわけではないです。
さて、トイストーリー本編の前に、お待ちかねのピクサーショートフィルムが始まります。
今回は、twitter等で前々から話題になっていた
『Day & Night』です。
感想としてはまず、トイストーリーを3Dで観ない人も、 本作は3Dでどうぞ。
PC上で予告編を観ていた限り、キャラはピクサーらしからぬ2次元でした。これまで僕はこう、なんというか、黒い暗幕の前で昼のおっさんと夜のおっさんががやがやする内容かなと思っていたんです(下図左)。
ところが実際は、暗幕はもっと手前でおっさんの形にくり抜かれている状態でした。そしてくり抜かれた向こうに、昼と夜の風景が覗けるという形式だったんですね(同右)。
わかりづらいなーこれ
そしてその向こうに望める昼夜の風景が、3Dで大変巧妙に表現されたリアルな奥行きなのです!もうこれは口で説明できません! 斬新な切り口で翻弄しつつ、CGも3Dもなんなく手玉に取るピクサーはえらい。
これまでショートフィルムでも、電気スタンドから宇宙人、赤ちゃんつくる雲まで色々登場させてきたピクサーですが、今回はずば抜けて抽象的な昼と夜ですからね。何かが起こらないはずはありませんよ。
さて、前座のショートフィルムでそんな盛り上がってもなんなので、本編
『トイ・ストーリー3』
に話題を移しますね。
上記の通り、『Day & Night』は3Dで観ることをお勧めします。『トイストーリー3』は、3Dでも普通でもどっちでもいいと思っています。
いや別に、本編で3Dのクオリティ落ちてるとかそういう意味ではありません。
なぜならこの作品は、何よりもまず物語に重きを置かれている映画だからです。映像技術の3Dは二の次なような気がするし、実際作品内でもそれほど目立った効果はみられません。(ただし冒頭部分は結構使ってました。やっぱツカミは大事)
3Dに力を入れない分、物語構成はかなり練っている印象でした。監督のリー・アンクリッチは、これまで受け継がれてきた『トイ・ストーリー』の世界観や内容、キャラクター設定を壊さないように、完結編『3』を製作したと語っています。
なにせ95年のシリーズ第1作目から15年もの間愛されてきた世界観、物語、キャラクターたちです。それをうかつに破壊してしまっては、世界中のトイストーリーファンから退職を要求され、死ぬまでおもちゃの十字架を背負わされる運命一直線でしょう。
そんなハイプレッシャーをかけられながらの本作でしたが、どうやらそのプレッシャーは功を奏したかな、と僕は思っています。リーさん大丈夫首つながった。
かくいう僕も、小学校入りたての頃に映画館で1作目を観て、VHSも文字通りすり切れさせた口です。(多分今は、中身のカセットとケースがピカチュウのふゆやすみとかとごっちゃになっている状態だと思いますが)
そう考えると、アンディと僕はちょっと年が離れているものの、十分友達になれる年齢同士だったことに気付きます。
いわば当時、アンディと一緒にウッディやバズで遊ぶことが可能だったかもしれない年代でした。そして現在は、おもちゃたちとの別れもアンディと一緒に悲しむことができる年代でもありました。
生地のかすれたウッディやヘルメットに引っ掻き傷のついたバズ、その他の愛らしいおもちゃたちをを手放す気持ち、新しい持ち主に大切に遊んで欲しいと思う感情は、確かにアンディと自分を繋ぎ止めていたに違いありません。
『トイ・ストーリー』ファンの思い出や懐かしさを、「寄付」と書かれた段ボールに丁寧にしまいこんだような、上出来の完結編でした。
いやあ、それにしても最近のピクサーは、なんだか本編見せる前に予告編で泣かそうとしてますよね。ウォーリーでは人類の滅びた地球からスタートだし、カールじいさんはエリーが亡くなったところから始まるし(あああの美しき回想シーン15分間!!)。『トイ・ストーリー3』も、この「予告編で泣かす」ブームのまっただ中に公開できて良かったですねえ。完結編で爆笑おもしろギャグコメディをやられたらファン卒倒ですよ。……うんまあさすがにそれはないか。
あ、ところで1つ2つ言いたいことがあったんでした。
もうそれイチゴのにおいしないって!!
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ディズニーに関するもろQなりの小ネタや考察をご紹介するこの『ディズニーの串刺し』。
前回は、「キャラクターたちの手袋(白色)が純潔や文明の象徴である」という「白けりゃ人間になれるよ」説を絡めて、プルートとその他のキャラクターとの関係性を述べたりしました。
第3回「プルートはペットです」→ diskushi.blog.shinobi.jp/Entry/3/
さて今回も、ディズニーキャラクターの手袋に注目していきたいと思います。
この「白けりゃ人間になれるよ」説は、整合性のとれている良い説です。手袋(白色)は、確かにキャラクターを人間たらしめる機能を持っているように感じられます。
しかし、初期のアニメーションを観ていて、この手袋には人間以外にもうひとつ象徴しているものがあるのではないかと、私は考えました。それはディズニーキャラクター、ひいてはディズニーという世界全体を支配しているとも言える概念です。
手袋は、エンターテインメントの象徴である。
このことに気が付いたのは、ミッキーが初めて手袋をはめた瞬間でした。
ミッキーマウスは、『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』で映画デビューを果たした1928年当時、まだ手袋をしていませんでした。
最初に手袋をはめたのは、翌年1929年の『ミッキーのオペラ見物(The Opry House)』です。ミッキーシリーズ4作目の作品なので、それほど後のことではありません。
『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』→ www.youtube.com/watch
『ミッキーのオペラ見物(The Opry House)』→ www.youtube.com/watch
↑の『ミッキーのオペラ見物』をご覧いただければより分かりやすくなると思いますが、
作品冒頭、舞台小屋の前でほうき片手に掃除をしている場面では、ミッキーはまだ手袋をはめておらず、黒い手のままです。
ところが物語中盤、ステージ上でピアノを演奏するミッキーは、手袋をはめて登場します。
このことから、手袋はステージ上に立つときや何かを演じる際に使用されるものだと考えることができます。
『ミッキーのオペラ見物』以降、基本的に毎回、ミッキーは手袋をはめて出演しています。ミニーやグーフィーなどのキャラクターにも手袋が描かれるようになります。
面白いのが、手袋をしていないドナルドとの対比です。
ミッキーやミニーは、シリーズのあらゆる作品においてダンスを披露し、ピアノやバイオリンなど様々な楽器を演奏するエンターテイナーですが、ドナルドにはあまりそういうイメージはありません。
一番印象的だったのは、ミッキーシリーズ初のカラー作品として有名な『ミッキーの大演奏会(The Band Concert)』(1935)です。
『ミッキーの大演奏会(The Band Concert)』→ www.youtube.com/watch
今作において、ミッキーは指揮者であり、グーフィーやホーレス・ホースカラーもそれぞれの楽器を担当するオーケストラの一員です。彼らはまさにエンターテイナーとしての役割を担っています。
一方でドナルドは、楽器の横笛こそ吹いているものの、オーケストラの一員ではない部外者です。そして演奏会を邪魔する役回りなのです。
かんしゃく持ちのドナルドは、ミッキーのように大人しく舞台を演じることが得意ではありません。むしろ舞台を引っ掻き回して観客の笑いを誘うことがドナルドの使命であり、そんな一面がドナルドの人気の理由でもあります。
そんな彼には、エンターテイナーの証である手袋は不必要だと考えられたのかもしれません。
手袋は、人間の象徴であるだけでなく、エンターテイナーを表すトレードマークとしての意味合いも持っているのかもしれません。
少し話がそれますが、三大喜劇王の一人、チャーリー・チャップリンも誰もが認めるエンターテイナーです。
1910〜20年代、チャップリンは大人気でした。当時のアニメーションには、チャップリンやその他の喜劇のエッセンスが多分に盛り込まれていました。
ウォルト・ディズニーのアニメも例外ではなく、チャップリンのユーモラスな動作をキャラクターの動きに取り入れていたといわれています。
『パパになったミッキー(Mickey Plays Papa)』(1934)には、ミッキーがチャップリンのモノマネをして子供をあやすシーンもあるほどです。
『パパになったミッキー(Mickey Plays Papa)』→ www.youtube.com/watch
またチャップリンではありませんが、『蒸気船ウィリー』の原題『Steamboat Willie』は、同じく三大喜劇王のバスター・キートンの喜劇映画『Steamboat Bill Jr.』をもじったタイトルであると考えられています。(WillieとBillは、どちらもWilliamの愛称です)
こうして見てみると、ディズニーアニメーションは、音楽や喜劇などの要素が渾然一体となった総合エンターテインメントであることを再確認することができました。
…強引なまとめですが、今回はこれで終わり。次回の内容は検討中ですが、ディズニーシーに舞台を移して、ロストリバーデルタ辺りの話をしようかなと思います。またマニアックな路線になりそうです。
ありがとうございました。
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前回は、「キャラクターたちの手袋(白色)が純潔や文明の象徴である」という「白けりゃ人間になれるよ」説を絡めて、プルートとその他のキャラクターとの関係性を述べたりしました。
第3回「プルートはペットです」→ diskushi.blog.shinobi.jp/Entry/3/
さて今回も、ディズニーキャラクターの手袋に注目していきたいと思います。
この「白けりゃ人間になれるよ」説は、整合性のとれている良い説です。手袋(白色)は、確かにキャラクターを人間たらしめる機能を持っているように感じられます。
しかし、初期のアニメーションを観ていて、この手袋には人間以外にもうひとつ象徴しているものがあるのではないかと、私は考えました。それはディズニーキャラクター、ひいてはディズニーという世界全体を支配しているとも言える概念です。
手袋は、エンターテインメントの象徴である。
このことに気が付いたのは、ミッキーが初めて手袋をはめた瞬間でした。
ミッキーマウスは、『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』で映画デビューを果たした1928年当時、まだ手袋をしていませんでした。
最初に手袋をはめたのは、翌年1929年の『ミッキーのオペラ見物(The Opry House)』です。ミッキーシリーズ4作目の作品なので、それほど後のことではありません。
『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』→ www.youtube.com/watch
『ミッキーのオペラ見物(The Opry House)』→ www.youtube.com/watch
↑の『ミッキーのオペラ見物』をご覧いただければより分かりやすくなると思いますが、
作品冒頭、舞台小屋の前でほうき片手に掃除をしている場面では、ミッキーはまだ手袋をはめておらず、黒い手のままです。
ところが物語中盤、ステージ上でピアノを演奏するミッキーは、手袋をはめて登場します。
このことから、手袋はステージ上に立つときや何かを演じる際に使用されるものだと考えることができます。
『ミッキーのオペラ見物』以降、基本的に毎回、ミッキーは手袋をはめて出演しています。ミニーやグーフィーなどのキャラクターにも手袋が描かれるようになります。
面白いのが、手袋をしていないドナルドとの対比です。
ミッキーやミニーは、シリーズのあらゆる作品においてダンスを披露し、ピアノやバイオリンなど様々な楽器を演奏するエンターテイナーですが、ドナルドにはあまりそういうイメージはありません。
一番印象的だったのは、ミッキーシリーズ初のカラー作品として有名な『ミッキーの大演奏会(The Band Concert)』(1935)です。
『ミッキーの大演奏会(The Band Concert)』→ www.youtube.com/watch
今作において、ミッキーは指揮者であり、グーフィーやホーレス・ホースカラーもそれぞれの楽器を担当するオーケストラの一員です。彼らはまさにエンターテイナーとしての役割を担っています。
一方でドナルドは、楽器の横笛こそ吹いているものの、オーケストラの一員ではない部外者です。そして演奏会を邪魔する役回りなのです。
かんしゃく持ちのドナルドは、ミッキーのように大人しく舞台を演じることが得意ではありません。むしろ舞台を引っ掻き回して観客の笑いを誘うことがドナルドの使命であり、そんな一面がドナルドの人気の理由でもあります。
そんな彼には、エンターテイナーの証である手袋は不必要だと考えられたのかもしれません。
手袋は、人間の象徴であるだけでなく、エンターテイナーを表すトレードマークとしての意味合いも持っているのかもしれません。
少し話がそれますが、三大喜劇王の一人、チャーリー・チャップリンも誰もが認めるエンターテイナーです。
1910〜20年代、チャップリンは大人気でした。当時のアニメーションには、チャップリンやその他の喜劇のエッセンスが多分に盛り込まれていました。
ウォルト・ディズニーのアニメも例外ではなく、チャップリンのユーモラスな動作をキャラクターの動きに取り入れていたといわれています。
『パパになったミッキー(Mickey Plays Papa)』(1934)には、ミッキーがチャップリンのモノマネをして子供をあやすシーンもあるほどです。
『パパになったミッキー(Mickey Plays Papa)』→ www.youtube.com/watch
またチャップリンではありませんが、『蒸気船ウィリー』の原題『Steamboat Willie』は、同じく三大喜劇王のバスター・キートンの喜劇映画『Steamboat Bill Jr.』をもじったタイトルであると考えられています。(WillieとBillは、どちらもWilliamの愛称です)
こうして見てみると、ディズニーアニメーションは、音楽や喜劇などの要素が渾然一体となった総合エンターテインメントであることを再確認することができました。
…強引なまとめですが、今回はこれで終わり。次回の内容は検討中ですが、ディズニーシーに舞台を移して、ロストリバーデルタ辺りの話をしようかなと思います。またマニアックな路線になりそうです。
ありがとうございました。
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ディズニーに関するもろQなりの考察や小ネタをご紹介するこの「ディズニーの串刺し」シリーズ。
第1回、第2回と、マニアックで取っ付きにくい議題でスタートしたディズ串。
この反省を踏まえ、第3回ではいよいよメジャーなディズニーキャラクターを取り上げたネタをご紹介したいと思います。
さて、私もろQは日常生活において、自身がディズニーヲタクであることを包み隠さず公表しています。そういうこともあり、友人知人からディズニーについて質問されることがしばしばあります。
先日は、サークルの後輩からこんな質問をされました。
「なんでグーフィーは喋れるのに、プルートは無理なん?」
割と様々な場面で議論されるこの問題ですが(そうでもない?)、初期ディズニーアニメの根底に流れるある仮説に当てはめて考えれば、答えはすぐ出てきます。
『白けりゃ人間になれるよ説』(勝手に命名)
残念ながらこの仮説の引用元をたどることはできなかったのですが、なかなか信憑性がある説なので、ネット上にも結構出回っています。
この説によると、「白という色は清潔、文明の象徴であり、この色を身に付けているキャラクターは、動物でありながらも人間としての活動を行なうことができる」
● ●
|・ェ・)……うん。……ん?
ミッキーやミニー、グーフィーなどのキャラクターは、白い手袋をはめているのをご存知かと思います。要すに、
ディズニーアニメの世界では、白い手袋をはめているキャラクターは皆、ネズミや犬であっても、人間のような生活を送ることができる。
というわけなんですね。
ドナルドやデイジーなどのアヒルキャラたちは、手袋こそはめていないものの、白い羽毛を身にまとっているため、人間同様の暮らしができます。
逆に、プルートやチップ&デールなどの手袋をしていないキャラクターたちは、ペットとして飼われたり、木のうろでドングリを集めたりと、それぞれの動物種に見合った生活をしています。
というわけで、先の質問に話題を戻します。グーフィーが喋れて、プルートが喋れないのは、ディズニーアニメの世界において、
グーフィー →人間役 プルート →犬役
というルールが制定されているからなのです。
そもそもプルートというキャラクターは、他のキャラクターと比べて特殊な存在のように思います。
もちろん今も昔もプルートは、ディズニーになくてはならない重要なキャラクターですし、ミッキー、ミニー、ドナルド、グーフィーと並ぶファビュラス5(Fab 5)の一員でもあります。
しかし元をたどれば、彼はミッキーのペットなのです。
ミッキーの有する人間としての文明、例えば「車を運転すること」や「家を持つこと」と同じ位置に、「ペットを飼うこと」が含まれています。
ミッキーや他のキャラクターが「文明を利用する人間」の立場であるのに対し、プルートは「人間に利用される文明」の立場であるわけです。いわばプルートは、他のキャラクターとは相対する側の存在なのではないでしょうか。
とはいえ、ペットとは、車や家などと違って生命を持つ存在ですし、家畜などとは異なる愛玩動物であります。自分の家のペットを家族の一員とみなしているご家庭もたくさんあることでしょう。
従って、プルートを「人間に利用される文明」などと一言で片付けることも、まず不可能なのです。
……プルートファンの皆様に叱られそうな結論に至ってしまいました。ごめんなさい。こういう見方もできるな、というスタンスで読んで頂けると有り難いです。いや、僕もプルート好きですしね!
今回はこれで終わり。次回も引き続きディズニーキャラクターを題材にしたいと思います。手袋について深く取り上げますよ。
ありがとうございました。
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この反省を踏まえ、第3回ではいよいよメジャーなディズニーキャラクターを取り上げたネタをご紹介したいと思います。
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先日は、サークルの後輩からこんな質問をされました。
「なんでグーフィーは喋れるのに、プルートは無理なん?」
割と様々な場面で議論されるこの問題ですが(そうでもない?)、初期ディズニーアニメの根底に流れるある仮説に当てはめて考えれば、答えはすぐ出てきます。
『白けりゃ人間になれるよ説』(勝手に命名)
残念ながらこの仮説の引用元をたどることはできなかったのですが、なかなか信憑性がある説なので、ネット上にも結構出回っています。
この説によると、「白という色は清潔、文明の象徴であり、この色を身に付けているキャラクターは、動物でありながらも人間としての活動を行なうことができる」
● ●
|・ェ・)……うん。……ん?
ミッキーやミニー、グーフィーなどのキャラクターは、白い手袋をはめているのをご存知かと思います。要すに、
ディズニーアニメの世界では、白い手袋をはめているキャラクターは皆、ネズミや犬であっても、人間のような生活を送ることができる。
というわけなんですね。
ドナルドやデイジーなどのアヒルキャラたちは、手袋こそはめていないものの、白い羽毛を身にまとっているため、人間同様の暮らしができます。
逆に、プルートやチップ&デールなどの手袋をしていないキャラクターたちは、ペットとして飼われたり、木のうろでドングリを集めたりと、それぞれの動物種に見合った生活をしています。
というわけで、先の質問に話題を戻します。グーフィーが喋れて、プルートが喋れないのは、ディズニーアニメの世界において、
グーフィー →人間役 プルート →犬役
というルールが制定されているからなのです。
そもそもプルートというキャラクターは、他のキャラクターと比べて特殊な存在のように思います。
もちろん今も昔もプルートは、ディズニーになくてはならない重要なキャラクターですし、ミッキー、ミニー、ドナルド、グーフィーと並ぶファビュラス5(Fab 5)の一員でもあります。
しかし元をたどれば、彼はミッキーのペットなのです。
ミッキーの有する人間としての文明、例えば「車を運転すること」や「家を持つこと」と同じ位置に、「ペットを飼うこと」が含まれています。
ミッキーや他のキャラクターが「文明を利用する人間」の立場であるのに対し、プルートは「人間に利用される文明」の立場であるわけです。いわばプルートは、他のキャラクターとは相対する側の存在なのではないでしょうか。
とはいえ、ペットとは、車や家などと違って生命を持つ存在ですし、家畜などとは異なる愛玩動物であります。自分の家のペットを家族の一員とみなしているご家庭もたくさんあることでしょう。
従って、プルートを「人間に利用される文明」などと一言で片付けることも、まず不可能なのです。
……プルートファンの皆様に叱られそうな結論に至ってしまいました。ごめんなさい。こういう見方もできるな、というスタンスで読んで頂けると有り難いです。いや、僕もプルート好きですしね!
今回はこれで終わり。次回も引き続きディズニーキャラクターを題材にしたいと思います。手袋について深く取り上げますよ。
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第2回は、前回に続きデビークロケットの話をしようと思います。かなりマニアックな話になるので、第1回に目を通して頂ければ、より理解を深めてもらえると思います。
第1回『ウエスタンランドの影の主役、デビークロケット』→ http://diskushi.blog.shinobi.jp/Entry/1/
前回、ディズニーランド内には、燃える小屋やビーバーブラザーズのカヌー探検など、数カ所にデビークロケットの名前を見つけることができる、と考察しました。
この調査を続けている中で、ふとある仮説が思い浮かびました。
「デビークロケット」の名前は、デビークロケットのカヌー探検がクローズしたために、燃える小屋にお引っ越ししたのではないか?
つまり、僕が期待したのはこういう顛末です。
デビークロケットのカヌー探検がビーバーブラザーズのカヌー探検に改名する際に、ディズニーの関係者の「日本人には馴染みのないデビークロケットだけど、この名前をみんなの記憶から消し去ってしまうのはあまりに可哀想じゃないか!」という思いから、燃える小屋をも「クロケットキャビン」に改名させ、「デビークロケット」の名前を移動させたんじゃないか。いつまでもその名前が記憶に残るように仕向けたんではないか。
という情熱溢れるストーリー。
そこで僕は、
燃える小屋の「クロケットキャビン」という名称がいつ頃から使われるようになったのか? 開園当初からか、それともカヌー探検のリニューアル後か?
という疑問を解決するべく研究を進めていきました。
1.いつからあったのか?ランドで実地調査
まず、ランドに乗り込み実地調査、取材調査を行いました。
取材させて頂く方は、キャストさんです。「クロケットキャビン」の名前がアナウンスで使われている、マークトウェイン号のキャストさんに聞きました。
最終的にはランドに10年間勤めているというベテランキャストさんもお呼びする事態にまで発展!
皆さん私の突拍子もない質問に真剣に答えて下さいまして、本当にありがとうございました!
さて、そのキャストさん方に答えをうかがったところ、
「船内アナウンスは定期的に変更になるけれど、一番最近変わったのは2、3年前。それより前にも『クロケットキャビン』と呼ばれていたかどうかは分からない」
とのこと。この調査を行ったのは2008年なので、その2、3年前である2006年か2005年にはすでにこの名前が存在していたことになります。
キャストさんもご存じなかったので、2005年以前のことは分かりませんでした。
2.海外ランドとの比較/最初から「クロケットキャビン」の名前があった可能性
次に、「クロケットキャビン」の名前が開園当初から存在していた可能性を探ってみました。
ですが残念なことに、我が国東京ディズニーランドの開園時の資料の中で、あの燃える小屋に関する記述は見つかりませんでした。
ビーバーブラザーズのキャストさんが、25周年のときに「あの小屋は25年間ずっと燃えてますよ〜www」と仰っていたので、小屋そのものは開園当初からあったわけですが、そこに名前があったかどうかは不明でした……。
そこで、アメリカ本場のカリフォルニアディズニーランド、フロリダディズニーワールドに視点を移してみました。日本のランドより先に生まれているこの2つのランドの燃える小屋には「クロケットキャビン」の名前が付いているのでしょうか。付いていれば、おそらく日本のランドの燃える小屋にも、開園当初から名前があったはずです。
というわけで、カリフォルニア、フロリダの燃える小屋に関する貴重なサイトを発見しました。
「Burning Settler's Cabin at Yesterland」(英語)
http://www.yesterland.com/burningcabin.html
このサイトによると、カリフォルニア、フロリダでは「Settler's Cabin」(開拓者の小屋)と呼ばれているそうです。デビークロケットも開拓者ではありますが、この「Settler」がデビークロケットその人であるかどうかは分かりませんでした。サイト内にも「Davy Crockett」の文字は見つかりませんでした。
ともかく、「クロケットキャビン」の名前が、海外から渡来してきたという可能性はなくなったと言っていいでしょう。
蛇足ですが、ディズニーランド・パリには「Disney's Davy Crockett Ranch」というログハウスタイプの宿泊所があります。しかしこれは東京ディズニーランドよりあとに作られたものなので、本件とは関係がないと思います。
3.調査結果/しかしデビークロケットのカヌー探検があったころはまだ名前無かった!
色々探りを入れましたが、結局「クロケットキャビン」がいつ頃から付けられた名前なのか、その謎を解明することはできませんでした。
しかし、ふとある結論に至ったのです。
少なくとも、
デビークロケットのカヌー探検が存在していた1983〜1991には、「クロケットキャビン」の名前は存在しなかった!!
その理由はとても単純でした。まさに盲点でした。
燃える小屋はアメリカ河に面しているため、河を走るアトラクション、マークトウェイン号やビーバーブラザーズのカヌー探検から確認できます。
そしてもちろん、同じ経路を走っていたデビークロケットのカヌー探検からも、小屋を見ることができたはずです。
さらに、前回の記事で、
燃える小屋「クロケットキャビン」は、デビークロケットが建てた小屋である、という逸話が残っている。
という設定をお話ししました。
いいですか。
デビークロケットのカヌー探検に乗っている途中で、デビークロケットの建てた燃える小屋が見えたんです。
デビークロケットが主人公のアトラクションで、デビークロケットの小屋を燃やすような、そんな残酷な表現があるわけないじゃないですか!!
ディズニーリゾート内のアトラクションの中には、キャラクターの名前が冠されたものがいくつかあります。
例えば
・プーさんのハニーハント
・ガジェットのゴーコースター
・スカットルのスクーター
などなどたくさんあります。
これらのキャラクター系アトラクションについて確実に言えるのは、アトラクション内でそのキャラクターを否定するような表現、描写はない。ということです。
デビークロケットの名が冠されたアトラクションに、デビークロケットの建てた小屋がある。それは全く問題ないのですが、
その小屋が燃えている、などというのは、主人公であるデビークロケットを否定する表現に外ならないわけです。
そんなこと絶対にありえないんです。
従って、デビークロケットのカヌー探検が運行していた1983〜1991には、燃えた小屋は存在していたが、その小屋に「クロケットキャビン」の名前は付いていなかった、ということになります。
もしかしたら、当時は本場アメリカにならって「開拓者の小屋」とでも呼ばれていたのかもしれません。
そして、デビークロケットのカヌー探検がリニューアルし、ビーバーブラザーズのカヌー探検に改名されてから初めて、燃える小屋に「クロケットキャビン」の名前が付けられた。という事実が証明できることになります。
これが、現段階で辿り着いた私なりの結論です。
「ビーバーブラザーズのカヌー探検に改名されて、何年後に「クロケットキャビン」の名前が移ったのか」という疑問や、
「カヌーから小屋に名前が移った理由(僕が妄想したあの情熱ストーリーが実在したのか)」という疑問については、解決するに至りませんでした。
今後、これらについても調査を続けたいと思います。
今回はこれで終わり。次回はディズニーキャラクターについての考察を展開したいと思います。
ありがとうございました。
コメントして下さる方へ:
ツイッターから来て頂いている方は、是非以下のボタンをクリックして返信してもらえると、有り難すぎてよだれ出ます。URLやハッシュ タグは全然消して頂いて構いません。
mixi及びその他のルートでお越しいただいている方は、当ブログのコメント欄、あるいはmixiボイスなどへお願い致します。
第2回は、前回に続きデビークロケットの話をしようと思います。かなりマニアックな話になるので、第1回に目を通して頂ければ、より理解を深めてもらえると思います。
第1回『ウエスタンランドの影の主役、デビークロケット』→ http://diskushi.blog.shinobi.jp/Entry/1/
前回、ディズニーランド内には、燃える小屋やビーバーブラザーズのカヌー探検など、数カ所にデビークロケットの名前を見つけることができる、と考察しました。
この調査を続けている中で、ふとある仮説が思い浮かびました。
「デビークロケット」の名前は、デビークロケットのカヌー探検がクローズしたために、燃える小屋にお引っ越ししたのではないか?
つまり、僕が期待したのはこういう顛末です。
デビークロケットのカヌー探検がビーバーブラザーズのカヌー探検に改名する際に、ディズニーの関係者の「日本人には馴染みのないデビークロケットだけど、この名前をみんなの記憶から消し去ってしまうのはあまりに可哀想じゃないか!」という思いから、燃える小屋をも「クロケットキャビン」に改名させ、「デビークロケット」の名前を移動させたんじゃないか。いつまでもその名前が記憶に残るように仕向けたんではないか。
という情熱溢れるストーリー。
そこで僕は、
燃える小屋の「クロケットキャビン」という名称がいつ頃から使われるようになったのか? 開園当初からか、それともカヌー探検のリニューアル後か?
という疑問を解決するべく研究を進めていきました。
1.いつからあったのか?ランドで実地調査
まず、ランドに乗り込み実地調査、取材調査を行いました。
取材させて頂く方は、キャストさんです。「クロケットキャビン」の名前がアナウンスで使われている、マークトウェイン号のキャストさんに聞きました。
最終的にはランドに10年間勤めているというベテランキャストさんもお呼びする事態にまで発展!
皆さん私の突拍子もない質問に真剣に答えて下さいまして、本当にありがとうございました!
さて、そのキャストさん方に答えをうかがったところ、
「船内アナウンスは定期的に変更になるけれど、一番最近変わったのは2、3年前。それより前にも『クロケットキャビン』と呼ばれていたかどうかは分からない」
とのこと。この調査を行ったのは2008年なので、その2、3年前である2006年か2005年にはすでにこの名前が存在していたことになります。
キャストさんもご存じなかったので、2005年以前のことは分かりませんでした。
2.海外ランドとの比較/最初から「クロケットキャビン」の名前があった可能性
次に、「クロケットキャビン」の名前が開園当初から存在していた可能性を探ってみました。
ですが残念なことに、我が国東京ディズニーランドの開園時の資料の中で、あの燃える小屋に関する記述は見つかりませんでした。
ビーバーブラザーズのキャストさんが、25周年のときに「あの小屋は25年間ずっと燃えてますよ〜www」と仰っていたので、小屋そのものは開園当初からあったわけですが、そこに名前があったかどうかは不明でした……。
そこで、アメリカ本場のカリフォルニアディズニーランド、フロリダディズニーワールドに視点を移してみました。日本のランドより先に生まれているこの2つのランドの燃える小屋には「クロケットキャビン」の名前が付いているのでしょうか。付いていれば、おそらく日本のランドの燃える小屋にも、開園当初から名前があったはずです。
というわけで、カリフォルニア、フロリダの燃える小屋に関する貴重なサイトを発見しました。
「Burning Settler's Cabin at Yesterland」(英語)
http://www.yesterland.com/burningcabin.html
このサイトによると、カリフォルニア、フロリダでは「Settler's Cabin」(開拓者の小屋)と呼ばれているそうです。デビークロケットも開拓者ではありますが、この「Settler」がデビークロケットその人であるかどうかは分かりませんでした。サイト内にも「Davy Crockett」の文字は見つかりませんでした。
ともかく、「クロケットキャビン」の名前が、海外から渡来してきたという可能性はなくなったと言っていいでしょう。
蛇足ですが、ディズニーランド・パリには「Disney's Davy Crockett Ranch」というログハウスタイプの宿泊所があります。しかしこれは東京ディズニーランドよりあとに作られたものなので、本件とは関係がないと思います。
3.調査結果/しかしデビークロケットのカヌー探検があったころはまだ名前無かった!
色々探りを入れましたが、結局「クロケットキャビン」がいつ頃から付けられた名前なのか、その謎を解明することはできませんでした。
しかし、ふとある結論に至ったのです。
少なくとも、
デビークロケットのカヌー探検が存在していた1983〜1991には、「クロケットキャビン」の名前は存在しなかった!!
その理由はとても単純でした。まさに盲点でした。
燃える小屋はアメリカ河に面しているため、河を走るアトラクション、マークトウェイン号やビーバーブラザーズのカヌー探検から確認できます。
そしてもちろん、同じ経路を走っていたデビークロケットのカヌー探検からも、小屋を見ることができたはずです。
さらに、前回の記事で、
燃える小屋「クロケットキャビン」は、デビークロケットが建てた小屋である、という逸話が残っている。
という設定をお話ししました。
いいですか。
デビークロケットのカヌー探検に乗っている途中で、デビークロケットの建てた燃える小屋が見えたんです。
デビークロケットが主人公のアトラクションで、デビークロケットの小屋を燃やすような、そんな残酷な表現があるわけないじゃないですか!!
ディズニーリゾート内のアトラクションの中には、キャラクターの名前が冠されたものがいくつかあります。
例えば
・プーさんのハニーハント
・ガジェットのゴーコースター
・スカットルのスクーター
などなどたくさんあります。
これらのキャラクター系アトラクションについて確実に言えるのは、アトラクション内でそのキャラクターを否定するような表現、描写はない。ということです。
デビークロケットの名が冠されたアトラクションに、デビークロケットの建てた小屋がある。それは全く問題ないのですが、
その小屋が燃えている、などというのは、主人公であるデビークロケットを否定する表現に外ならないわけです。
そんなこと絶対にありえないんです。
従って、デビークロケットのカヌー探検が運行していた1983〜1991には、燃えた小屋は存在していたが、その小屋に「クロケットキャビン」の名前は付いていなかった、ということになります。
もしかしたら、当時は本場アメリカにならって「開拓者の小屋」とでも呼ばれていたのかもしれません。
そして、デビークロケットのカヌー探検がリニューアルし、ビーバーブラザーズのカヌー探検に改名されてから初めて、燃える小屋に「クロケットキャビン」の名前が付けられた。という事実が証明できることになります。
これが、現段階で辿り着いた私なりの結論です。
「ビーバーブラザーズのカヌー探検に改名されて、何年後に「クロケットキャビン」の名前が移ったのか」という疑問や、
「カヌーから小屋に名前が移った理由(僕が妄想したあの情熱ストーリーが実在したのか)」という疑問については、解決するに至りませんでした。
今後、これらについても調査を続けたいと思います。
今回はこれで終わり。次回はディズニーキャラクターについての考察を展開したいと思います。
ありがとうございました。
コメントして下さる方へ:
ツイッターから来て頂いている方は、是非以下のボタンをクリックして返信してもらえると、有り難すぎてよだれ出ます。URLやハッシュ タグは全然消して頂いて構いません。
mixi及びその他のルートでお越しいただいている方は、当ブログのコメント欄、あるいはmixiボイスなどへお願い致します。
ディズニーに関するもろQなりの考察や小ネタをこの「ディズニーの串刺し」シリーズでご紹介したいと思います。
第1回は『ウエスタンランドの影の主役、デビークロケット』という議題でやらせていただきます。
ウエスタンランドと聞いてあなたが最初に思い浮かぶ人物、キャラクターは誰でしょう。トムソーヤか、カントリーベアのクマ、またはセドナ・サムと言うマニアな方もいらっしゃるかと思いますが、
今回はデビークロケットという人物をピックアップします。
デビークロケットという人物は有名なので、ご存知の方も多いと思います。(1786〜1836)、アメリカテネシー州出身の軍人・政治家です。詳しくは http://bit.ly/9P09Sx を参照。アメリカでは国民的英雄です。
さて、そんな人が、ウエスタンランドとどのような関係があるのでしょうか。
園内を練り歩きながらよくよく探 してみると、ちょいちょい見かけることができます。
1.燃える小屋
http://twitpic.com/1sguzm
この燃える小屋は、トムソーヤ島の端っこに位置している小屋。乾燥していた西部開拓時代では、こういう火事が頻繁に起きていました。
マークトウェイン号、ビーバーブラザーズのカヌー探検、ウエスタンリバー鉄道なんかから見ることができます。
マークトウェイン号に乗って見ると、この小屋に関する船内アナウンスを聞くことができます。それによると、 どうやらこの小屋は「クロケットキャビン」と呼ばれており、デビークロケットがこの小屋を立てたという逸話が残っているそうです。
2.ビーバーブラザーズのカヌー探検
http://bit.ly/bLT4LG
次にご紹介するデビークロケット出現スポットは、クリッターカントリーのアトラクション「ビーバーブラザー ズのカヌー探検」です。
……あれ、なぜウエスタンランドの話題 でクリッターカントリーが出てくるんでしょ?
実はこのビーバーブラザーズのカヌー探検は、元々「デビークロケットのカヌー探検」という名称で存在していたのです。「デビークロケットのカヌー探検」はTDLのオープン時から存在しましたが、クリッターカントリーはまだありませんでした。カヌーの発着所が色々移動しているので、以下に簡易年表を作ってみました。
・1983(TDLオープン)〜
http://twitpic.com/1sgu9a
デビークロケットのカヌー探検の船着き場はここでした。現在のグランマサラ1階テラスの辺りです。
・1991〜
クリッターカントリーの工事が始まるため、この発着場は一旦移動します。
http://twitpic.com/1sguqh
現在のトムソーヤ島「トムの船着き場」が、一時的な発着所でした。
・1992〜
さて、翌年にクリッターカントリーがオープンとなり、「デビークロケットのカヌー探検」は「ビーバーブラザーズのカヌー探検」と名を改め、リニューアルと相なりました。
3.カントリーベアシアター
3つ目のデビクロ(略w)スポットは、カントリーベアシアターです。カントリーベアの座長ヘンリーが「デ ビークロケットの唄」を披露します。
この歌も有名なので、聞いたことある方もいらっしゃるのでは。
待合室にもこの歌の楽譜が飾られています。
4.ウエスタンウエア
ショップ「ウエスタンウエア」の帽子にも、デビクロ仕様のものがあります。
http://twitpic.com/1sguvt
この帽子はクロケット帽と呼ばれています。デビークロケットがこういった動物の皮で作られる帽子を好んで被ったためです。
私が血眼になって探し歩いた結果、デビクロの名前は以上の4つほど確認できました。
さて、デビークロケットがウエスタンランドと何がしかの関係があることは分かりました。では一体どんな縁があるのか。
ウォルトディズニーの生きていた時代まで遡ってみます。
ウォルトディズニーはデビークロケットの物語をTV番組「ディズニーランド」の1コーナーとして放送していました。映画化もしました。
これら のシリーズが大流行となり、彼はデビクロの活躍した西部開拓時代を題材にしたテーマランドをディズニーランドに建設することを決めました。
それが現在のウエスタンランドなのです。(カリフォルニア等では「フロンティアランド」と呼ばれています)
一昨年TDLが25周年を迎えた際には、こんなボードも立てられていました。
http://twitpic.com/1sgv5n
我々日本人にとって、ウエスタンランドとデビークロケットとの間には関連性を見出すのは困難です。
しかし実際は、両者に密接な関わりがあるどころか、デビークロケットはウエスタンランドの起源、つまり母と子のような関係にあるとすら言えます。
というわけで、今度皆さんがウエスタンランドに足を運ぶ際は、
デビークロケットという「影の主役」
をちょっと思い浮かべてみてはいかがでしょうか。
今回はこれで終わり。次回はこの続きとして、もう少し踏み込んだマニアな話をします。
ありがとうございました。
コメントして下さる方へ:
ツイッターから来て頂いている方は、是非以下のボタンをクリックして返信してもらえると、有り難すぎてよだれ出ます。URLやハッシュタグは全然消して頂いて構いません。
mixi及びその他のルートでお越しいただいている方は、当ブログのコメント欄、あるいはmixiボイスなどへお願い致します。
第1回は『ウエスタンランドの影の主役、デビークロケット』という議題でやらせていただきます。
ウエスタンランドと聞いてあなたが最初に思い浮かぶ人物、キャラクターは誰でしょう。トムソーヤか、カントリーベアのクマ、またはセドナ・サムと言うマニアな方もいらっしゃるかと思いますが、
今回はデビークロケットという人物をピックアップします。
デビークロケットという人物は有名なので、ご存知の方も多いと思います。(1786〜1836)、アメリカテネシー州出身の軍人・政治家です。詳しくは http://bit.ly/9P09Sx を参照。アメリカでは国民的英雄です。
さて、そんな人が、ウエスタンランドとどのような関係があるのでしょうか。
園内を練り歩きながらよくよく探 してみると、ちょいちょい見かけることができます。
1.燃える小屋
http://twitpic.com/1sguzm
この燃える小屋は、トムソーヤ島の端っこに位置している小屋。乾燥していた西部開拓時代では、こういう火事が頻繁に起きていました。
マークトウェイン号、ビーバーブラザーズのカヌー探検、ウエスタンリバー鉄道なんかから見ることができます。
マークトウェイン号に乗って見ると、この小屋に関する船内アナウンスを聞くことができます。それによると、 どうやらこの小屋は「クロケットキャビン」と呼ばれており、デビークロケットがこの小屋を立てたという逸話が残っているそうです。
2.ビーバーブラザーズのカヌー探検
http://bit.ly/bLT4LG
次にご紹介するデビークロケット出現スポットは、クリッターカントリーのアトラクション「ビーバーブラザー ズのカヌー探検」です。
……あれ、なぜウエスタンランドの話題 でクリッターカントリーが出てくるんでしょ?
実はこのビーバーブラザーズのカヌー探検は、元々「デビークロケットのカヌー探検」という名称で存在していたのです。「デビークロケットのカヌー探検」はTDLのオープン時から存在しましたが、クリッターカントリーはまだありませんでした。カヌーの発着所が色々移動しているので、以下に簡易年表を作ってみました。
・1983(TDLオープン)〜
http://twitpic.com/1sgu9a
デビークロケットのカヌー探検の船着き場はここでした。現在のグランマサラ1階テラスの辺りです。
・1991〜
クリッターカントリーの工事が始まるため、この発着場は一旦移動します。
http://twitpic.com/1sguqh
現在のトムソーヤ島「トムの船着き場」が、一時的な発着所でした。
・1992〜
さて、翌年にクリッターカントリーがオープンとなり、「デビークロケットのカヌー探検」は「ビーバーブラザーズのカヌー探検」と名を改め、リニューアルと相なりました。
3.カントリーベアシアター
3つ目のデビクロ(略w)スポットは、カントリーベアシアターです。カントリーベアの座長ヘンリーが「デ ビークロケットの唄」を披露します。
この歌も有名なので、聞いたことある方もいらっしゃるのでは。
待合室にもこの歌の楽譜が飾られています。
4.ウエスタンウエア
ショップ「ウエスタンウエア」の帽子にも、デビクロ仕様のものがあります。
http://twitpic.com/1sguvt
この帽子はクロケット帽と呼ばれています。デビークロケットがこういった動物の皮で作られる帽子を好んで被ったためです。
私が血眼になって探し歩いた結果、デビクロの名前は以上の4つほど確認できました。
さて、デビークロケットがウエスタンランドと何がしかの関係があることは分かりました。では一体どんな縁があるのか。
ウォルトディズニーの生きていた時代まで遡ってみます。
ウォルトディズニーはデビークロケットの物語をTV番組「ディズニーランド」の1コーナーとして放送していました。映画化もしました。
これら のシリーズが大流行となり、彼はデビクロの活躍した西部開拓時代を題材にしたテーマランドをディズニーランドに建設することを決めました。
それが現在のウエスタンランドなのです。(カリフォルニア等では「フロンティアランド」と呼ばれています)
一昨年TDLが25周年を迎えた際には、こんなボードも立てられていました。
http://twitpic.com/1sgv5n
我々日本人にとって、ウエスタンランドとデビークロケットとの間には関連性を見出すのは困難です。
しかし実際は、両者に密接な関わりがあるどころか、デビークロケットはウエスタンランドの起源、つまり母と子のような関係にあるとすら言えます。
というわけで、今度皆さんがウエスタンランドに足を運ぶ際は、
デビークロケットという「影の主役」
をちょっと思い浮かべてみてはいかがでしょうか。
今回はこれで終わり。次回はこの続きとして、もう少し踏み込んだマニアな話をします。
ありがとうございました。
コメントして下さる方へ:
ツイッターから来て頂いている方は、是非以下のボタンをクリックして返信してもらえると、有り難すぎてよだれ出ます。URLやハッシュタグは全然消して頂いて構いません。
mixi及びその他のルートでお越しいただいている方は、当ブログのコメント欄、あるいはmixiボイスなどへお願い致します。